《プロフィール》Profil

1976921日クロアチアのザグレブに生まれる。父は指揮者、母は声楽家という恵まれた音楽一家に育つ。幼少の頃からその類い稀な才能を発揮し、わずか6歳の時にザグレブのテレビ放送で、モーツアルト作曲オペラ「魔笛」の夜の女王のアリアを見事に独唱している。次いで7歳の時にはバーンスタイン作曲「チチェスター詩篇」をコンサートで歌い、1985315日にはグラーツのオペラ座でプッチーニ作曲「ラ・ボエーム」に出演している。さらに10歳の時にはリュブリヤナ・シンフォニー・オーケストラとマーラー作曲「交響曲第4番」のCDを録音し、第4楽章のソプラノ独唱をしている。

1987年から1992年夏までの5年間はウィーン少年合唱団に在籍する。

その間、世界各国への演奏旅行、王宮礼拝堂でのミサ、ウィーン国立歌劇場のオペラ出演などをはじめ、ザルツブルク音楽祭において1990年ホルスト・シュタイン指揮、1991年ペーター・シュライヤー指揮により、ミサ曲のソプラノ独唱を行なっている。

日本には19893月から6月にかけて、合唱団の一員として来日。モーツァルト作曲「ヴェスペレK.339」「戴冠ミサK.317」 のコンサートや約60回におよぶ日本各地(北海道から沖縄まで)での演奏会において独唱・重唱曲、オペレッタの主役でソプラノのソリストとして活躍した。 また、アンコールにはヨハン・シュトラウスⅡ作曲ワルツ「春の声」やヴェルディ作曲オペラ「シチリア島の夕べの祈り」からアリア“ありがと う、みなさん”を歌って12歳とは思えない卓越した歌唱力で特に人気を集めた。

19926月ウィーン少年合唱団を卒団し、同年9月東京でのリサイタルを皮切りにソロ活動を始める。

1996年まではソプラノとして活動し、その後2000年までは活動を休止、2001年にカウンターテナーとして演奏活動を再開する。現在までにバロックを中心に着実に実績を積み重ねている。